チャーチル会に寄せて
講師の先生方からのメッセージ
趣味とは走り取る味・つまり忙しい時に合間を縫って遊ぶのが趣味なんですよ!とは親しくさせて頂いていた漫画家の故 永嶋慎二先生が仰っていた台詞!
恩師の宮田晨哉先生(宮田重雄先生の御子息)が客員の頃、チャーチル会東京ではモチーフを決めるのは会員でした。宮田先生は適当にふらっといらっしゃっておやつ(東京では昔から制作の途中でおやつを食べるのが習わし)を食べながら絵のアドバイスをされて本番は二次会!ワインを飲みながら宮田先生がパリでの藤田嗣治に会った時のお話だったり梅原龍三郎や林武がこんな事仰っていたとか、絵とは点が線になり線が繋がり面になって…etc、君の絵は(元日銀の方に)まるでソロバンを弾いているような硬い絵だねぇ~!etc!というのが本当に楽しくて盛り上がったものです。
横浜も同じですが新しいメンバーが増えるに従って先生に習うほうが強くなってしまいチャーチル会らしさが薄れてカルチャーのようになってしまいました。
僕はライカが好きで主にFBを通じて写真を投稿するJLUG(Japan Leica user group)という全国規模の会のメンバーになっております。当初皆さん消極的でしたが今ではメンバーが積極的に関わってきて遠方のメンバーでも東京に来たときには集まってワイン片手に何時間でもライカの話をしています。今回のコロナ騒動がなければ秋に70人くらいで初の写真グループ展&パーティーもする予定でした。
先生の指示を仰ぐだけでなくメンバーが積極的に関わっていくことが面白い絵を描くことに繋がるのではないでしょうか。
さあ、今こそチャーチル会の精神、ピカソがなんだ!マチスが何さ!を歌いましょう!
常世 隆
絵を描くことは、自分が好きなときに、鉛筆一本、あるいは絵の具と紙さえあれば、ひとりでもできます。
絵を描くことは自分と向き合うこと、孤独な時間であり限界もあります。
多くの先人たちは、サロンやカフェでの対話、なんらかの会に所属し、美術の動向が生まれてきたのではないでしょうか。
チャーチル会横浜は、サロン、カフェ文化の要素を兼ね備え、おたがいの意見が活発に交わされる場になっているように感じています。
絵をはじめたばかりの作品は、パレットにある絵具がなんとなくわかります。セットで買った色の名前が浮かんできます。
画材メーカーが設定したセットからの卒業が、自己表現への1歩。チャーチル会横浜の作品は、それぞれ違う道をかなり先まで歩まれている印象です。
名前がストレートに出てこない色の配色、豊富なマチエールなど経験を積み重ねていく上で、発見されたのではないでしょうか。
新しい色、その組み合わせの妙に出会う、気づく、挑戦することは、歳を追うごとに難しくなっていきます。
習慣に流れずに、興味を持ち続け、思考、試行を重ねることは、エネルギーが必要ですから。
美術が好きで美大を目指した同窓生でさえ、創作活動をつづけている人はわずか。
仕事をはなれ、純粋な気持ちで絵画に向き合う人のほうが、むしろ絵を描くことに真剣であると感じることもあります。
会員の多くが、何十年も続けているのは、絵を描くことで感じる魔力以外に、各会員の挑戦的な作品、魅力あるお人柄も理由の1つではないでしょうか。
社会経験豊富なまさに多彩なみなさまと、スケッチ会の合間にあるカフェの一時、デッサン会のあとの酒宴の席での会話など、わたしにとっての楽しみのひとつになっています。
山崎 真一
山崎 真一先生より
常世 隆先生より
魅力のチャーチル会
チャーチル会の皆さんの向学心と、あらゆるものへの挑戦意欲が会全体の志気を高め、どの講座をとってみても、熱気にあふれていることが大きな魅力であり、また会員一人一人の個性が単なるサークルでない味わいをかもし出してくれています。
私はそうした皆さんにお会いすることを楽しみに、毎回伺っています。
現代の絵画表現は、何をしても、また、どう表現しようと自由であり、感性重視の傾向が高いようです。
しかし、皆さんが試みている永遠の絵画の美しさ、造形美は、人の目で見、心で感じ、それをいかに平面に表すか、何度も思考錯誤を繰り返し、すこしずつ自分の美の表現になって行くのでしょう、
そうした皆さんの姿勢が、ぜひ次の世代に少しでも引き継いでいただけたらと、心から願っています。
湯山 俊久 (日展理事)
湯山 俊久 先生より
常世 隆先生・山崎 真一先生・ 湯山 俊久先生・卯野和宏先生
共に学び交流する活動が難しい状況になっていることはとても残念です。絵画の楽しみ方は様々ではありますが、自己表現の探求という楽しみ方においては、一人で過ごす時間との相性は良いかもしれません。今まで出来なかった大作に挑戦してみたり、逆にすごく小さい作品に挑戦してみたり。使ったことのない色や画材を試してみたり、今まで描いたことのない表現方法を実験してみたり、等々、出会ったことのない絵の楽しさはまだまだ沢山あるような気がします。
また、黙々と絵に向き合うこと、例えばキャンバスのこの部分にこの色を使うか使わないかという判断等々、大なり小なり、自分自身のイエス・ノーの積み重ねの先には、どの教科書や技法書にも載っていない自分独自の必然の姿があるのだと思っています。その必然の濃さにより、作品の説得力は増し、基礎学習的な絵とはまた違った「面白い絵」が生まれるのだと思います。新型コロナウィルスが終息したのちに、それぞれの「凄く面白い絵」を持ち寄り、そこから新たな交流を広げてみるのも楽しいかもしれません。
卯野 和宏
卯野和宏先生より