令和4年4月の写生会

4月17日の写生会
講師 山崎先生
参加者 19名

写生会の会場は「多摩川台公園」でした。参加者は講師の山崎先生を含め、20人。前日までは菜種梅雨を思わせる天気が続いていましたが、当日は、時々、薄曇りの空から陽射しが漏れるという良好な写生日和でした。ご承知の通り、多摩川は、奥多摩のせせらぎに端を発し、首都圏に入るころには堂々たる大河に変じ、絵心をそそる数々の景勝を作り出しています。川の流れが大田区の北端の田園調布に達する頃、左岸に小高い丘が出現します。この丘が「多摩川台」で、丸子橋の手前で終わります。この小高い丘の頂(いただき)には2基の前方後円墳と8基の小円墳がほぼ一列に築造され、今もそれらしい形をとどめています。5から6世紀にこの地を治めていた豪族がその権力をひけらかすためにこの丘を選んだのですから、展望の良さは遠い昔から保証付きです。高台の裏側はお屋敷町で、瀟洒な邸宅や、派手な豪邸もありますし、立派な教会堂もあって、皆さんは、何を描こうかと悩んだに違いありません。欲張って、3枚も描いた方がいました。もう、誰だか分りますね。皆、喧騒から隔絶された環境で楽しく写生にいそしみました。

丸子橋に近い丘からは30有余のタワーマンション(武蔵小杉)が作り出すスカイラインが、現代社会ならではの景観を提供しています。F3の画用紙にタワーマンション群を収めた猛者がいました。丸子橋のアーチも恰好なモチーフになりました。いつも大きな紙に描くあの人です。迫力のある絵が仕上がりました。丘を覆う木立の間から見え隠れする「都会を往く川」を描いた人もいました。かなりの数の参加者が展望台(といっても、視界をさえぎる木々を伐採し、ベンチを数台置いてあるだけです)の近くに陣取って、多摩川が目の前で蛇行する様(さま)を伸びやかな構図で描きました。遠景は丹沢山塊まで広がる関東平野、近景は、冬の間、葉を落としてじっと春を待っていた雑木や桜。その枝先には、芽吹いたばかりの若葉がきらり。気分よく描いた絵がそろいました。女性軍は、大方、このベンチに陣取りました。分かりますよね、その気持ち。顔まで浮かんできます。残り二人は、大方さんと山田さん。大方さんはお屋敷町、山田さんは水生植物園(モネの向こうを張って睡蓮の花を描くという意気込みで)へ向かいました。羽佐間さんだったら絶対にこれを描くだろうと思っていた教会堂はほかのメンバーが描きました。

公園には、広々とした広場や子供たちの遊び場、水道局が水生植物を集めた大きな池があり、日曜日だったこともあり、かなりにぎわっていたようです。山崎先生は、丘を登ったり下ったり、丘の上でもアップダウンがきつい遊歩道を精力的に巡回してくださり、大変だったと思います。「普段、運動不足だから、良い運動になった」そうです。2時半から講評が始まりました。持ち寄った絵のモチーフも多様でした。先生はいつものように明快かつ丁寧な講評をしてくださり、参加者は今年も頑張るぞと思ったに違いありません。良い場所を探してくれたねと、当番を褒めてくださったのですが、もともとの発案者は、長谷川さんでした。F3に超高層を詰め込んだ主です。丘を降りて行った二人の女性の絵に触れなければなりません。睡蓮の絵はどうなったでしょうか?水生植物園は、(恐らく昆虫好きの)子供たちでいっぱいで、写生どころではなかったとのこと。次回以降のお楽しみにとっておきましょう。大方さんは、(講評に遅れて来るほどの取り組みで)超派手な豪邸の絵をモノにし、披露してくれました。

記:佐藤薫郷